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浦和地方裁判所越谷支部 昭和48年(ワ)162号 判決 1976年5月20日

原告

伏見和徳

ほか一名

被告

東通乗用自動車株式会社

主文

被告は、原告伏見和徳に対し金三五五万円およびうち金三三〇万円に対する昭和四九年一月三〇日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員を、原告伏見征子に対し金三二五万円およびうち金三〇〇万円に対する昭和四九年一月三〇日から右完済にいたるまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

原告らのその余の各請求を棄却する。

訴訟費用は、これを一〇分し、その七を被告の負担とし、その三を原告らの連帯負担とする。

この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

原告らは、「被告は原告伏見和徳に対し金六、四七〇、五〇〇円、原告伏見征子に対し金六、一七〇、五〇〇円およびこれらに対する昭和四九年一月三〇日から各完済にいたるまで年五分の割合による各金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決、ならびに、第一項につき仮執行の宣言を求め、請求の原因としてつぎのように述べた。

一  事故の発生

訴外伏見敏久は、つぎの交通事故により死亡した。

(一)  日時 昭和四八年五月六日午前九時二五分頃

(二)  場所 埼玉県北葛飾郡吉川町平沼一五〇二番地先道路上

(三)  加害車 普通乗用車(埼五五あ九二三号、以下被告車という)

右運転者訴外松井一雄

(四)  被害者 訴外伏見敏久

(五)  態様 伏見敏久が道路横断中、訴外松井一雄の運転する被告車に前記場所で衝突されたものである。

二  責任原因

被告会社は、被告車を所有し、自己のために運行の用に供していたものであるから、自賠法三条による責任がある。

三  損害

(一)  伏見敏久の逸失利益 金一一、二四一、〇〇〇円

伏見敏久は、死亡当時四歳(昭和四四年五月一七日生)の健康な男子であり、本件事故によつて死亡しなければ一八歳から六三歳まで四五年間就労可能で、その間継続して年間一、三四六、六〇〇円(賃金センサス昭和四七年労働省統計情報部学歴計による)の収入を得られたはずであるから、その必要生活費を五割とみて控除した年間六七三、三〇〇円の純収入につき、ホフマン式計算によつて年五分の割合による中間利息を控除して事故当時の一時払額に換算すると

年収入額 88,200×12+288,200=1,346,600

純収入額 1,346,600×0.5=673,300

673,300×(27.10479244(59年のホフマン係数)-10.40940667(14年のホフマン係数)=11,241,003

なる算式により金一一、二四一、〇〇〇円(一、〇〇〇円未満切捨)となり、これが本件事故による損害である。

原告両名は、右敏久の両親であり、右損害賠償請求権を二分の一ずつ相続した。

(二)  葬儀費用 金三〇万円

原告伏見和徳は伏見敏久の葬儀費用として金三〇万円を支出し、同額の損害を蒙つた。

(三)  慰藉料 金五〇〇万円

伏見敏久は原告らの二男で将来を託していたのに、これを奪われた精神的苦痛は言語を絶するものがあり、金銭に換算するのは不可能と云わざるを得ないが、精神的苦痛に対する慰藉料として原告各々につき金二五〇万円が相当である。

(四)  弁護士費用 金一一〇万円

原告らは被告会社に対し再三賠償を請求したが、被告会社はなかなか応じないため、本件訴訟を提起するのを原告代理人弁護士らに委任せざるを得なくなつたので、損害合計額の一割弱にあたる金一一〇万を弁護士費用として被告会社の負担を相当とするので前記金額の損害を蒙つた。

(五)  保険金の受領

原告らは自動車損害賠償保険により金五〇〇万円の給付を受けたので、これを控除する。

四  よつて、被告に対し原告伏見和徳は金六、四七〇、五〇〇円、同伏見征子は金六、一七〇、五〇〇円および右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和四九年一月三〇日から各完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

被告は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として「請求の原因第一項(一)ないし(四)の事実は認めるが、(五)の事実中、訴外伏見が訴外松井の自動車に衝突されたことは否認。訴外伏見が突然路上に出てきて自動車に接触したものである。同第二項は争う。同第三項の事実中、原告らが自賠責保険金五〇〇万円の支払を受けたことは認めるが、その余は争う。」と述べ、抗弁等としてつぎのように主張した。

一  免責の抗弁

本件事故は原告らの訴外敏久に対する親権者としての監護義務を尽さぬ過失によるものである。すなわち、訴外松井は時速約七〇キロメートルの速度で本件事故現場にさしかかつたものであるが、事故現場手前二〇数メートルの地点ではじめて訴外敏久を発見したものである。右松井は事故現場手前より原告和徳の運転してきた自動車(以下原告車という)が道路右側に対向して駐車してあるのは認め得たが、同車には人は同乗しておらず全く人影すら認め得なかつたものであり、右敏久は幼児であつて原告和徳の後を追つて車外に出て右駐車中の原告車の後ろから不用意に横断したものである。本件現場の道路端の状態は、原告車が駐車していた側の道路端は工場のフエンス塀が続いており、反対側には小川をはさんで右和徳が買物に立寄つた商店が一軒ある外は水田であり、通常人が横断してくるような場所ではなく、現場より先五、六〇メートルの地点には横断歩道がある。事故当日は日曜日でもあり、当時は現場付近には通行人は全くなく、原告の車両のかげから子供がとび出してくることは全く予想し得なかつたものであり、仮りに右松井が法定制限速度で進行していても不意のとび出し事故であるから事故発生は避け得なかつたもので、信頼の原則により右松井は無責である。本件現場の道路は、上下線とも駐車禁止地域に指定され、その標識も存在するのに、右和徳は、これを知悉しながら違法にも同所に原告車を駐車し、同車両より離れたものである。右和徳の立寄つた商店は、買物客のために前が空地になつており、買物客が車を乗り入れて駐車し得るようになつていたのであるから、右和徳は、進路をUターンするか右折するかして原告車を右商店前の空地に乗り入れて駐車し、もつて事故の発生を未然に防止すべきであるのに幼児一人を車内にのこし、何ら安全策をとらずに右車両から離れたのは重大な過失であり、本件事故は右和徳の過失に基因するのである。

また、被告車には本件事故と因果関係のある構造上の欠陥、機能障害はなかつた。

二  仮りに、訴外松井に責むべき点があるとしても、原告両親の重大な過失が競合して本件事故を発生せしめたものであるから、その限度において過失相殺を主張する。

三  損害についての主張

(一)  訴外敏久は、事故当時三年一一ケ月で死亡したもので、その逸失利益の計算に当つては学歴計によるべきではなく、同年度の賃金構造基本統計調査の全産業男子労働者企業規模計一八―一九歳の平均賃金によつて計算すべきである。

(二)  訴外敏久は幼児であるから逸失利益の計算においてその養育費を控除すべきである。〔証拠関係略〕

理由

一  当事者間に争いない事実に成立に争いない甲第六号証(乙第一号証)、第九号証を併せ考えると、請求の原因第一、二項の事実を肯認することができる。

二  被告の免責の抗弁について判断するのに、前記甲第六号証(乙第一号証)、成立に争いない甲第七ないし第一三号証、証人杉村勝己、同宮田勉、同松井一男の各証言および原告伏見和徳本人尋問の結果を総合すると、つぎのような事実が認められる。

(一)  事故現場は、越谷市方面から流山市方面に通ずる歩車道の区別のない幅員約七・三メートルのアスフアルト舗装の直線道路(県道加藤平沼線)で、訴外松井の進行方向(越谷方面から流山方面に向う)の右側は会社工場等が建つていて塀が続いており、道路左側には小川を隔てて杉村商店が一軒あるだけで付近は水田になつているが、最高速度は四〇キロメートル毎時と制限され、駐車禁止の交通規制がされている。

(二)  原告和徳は、訴外敏久を同乗させて原告車を運転し、流山方面から越谷方面に向う途中、道路左側(右杉村商店の反対側)の道路端に原告車を停車させ、右敏久を車の中に残して下車し、扉に外から鍵をかけるなどしないでそのまま右杉村商店に買物に行つた。

(三)  訴外松井は、被告車(タクシー)に客三名を乗せ時速七二キロメートルの高速で進行してきて前方五九・九メートル位の道路右側に駐車していた原告車を発見したが、そのままの速度で進行したところ、二七・六メートル位手前で原告車の後方から右敏久がかけ足で横断すべく進路上に出てきたのを認め、急ブレーキをかけたが間に合わずに同人に衝突し、同人を一八・九メートル位前方にはねとばし、被告車を衝突地点から一四・八メートル位前方に停車させた。

このときのスリツプ痕は左車輪で二七・八メートル位、右車輪で二一・〇メートル位であつた。

以上の事実を認めることができ、他に右認定を左右する証拠はない。

右事実によると、訴外松井は、自動車運転者として、最高速度毎時四〇キロメートルを遵守すべきは勿論、右のような状況のもとに駐車している原告車があつたのであるから、車の蔭から人が出現することも予測し、安全な速度と方法によつて進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、漫然時速七二キロメートルという高速度で原告車の側方を通過しようとした点に過失が存することが認められる。したがつて、被告の免責の抗弁は、その余の争点について判断するまでもなくこの点において理由がないものといわねばならない。

三  原告らの主張する損害額について検討する。

(一)  成立に争いない甲第一号証、および原告伏見和徳本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すると、原告両名の二男である訴外伏見敏久は、昭和四四年五月一七日生れ当時三年一一ケ月余の健康な男児で、本件事故に遭遇しなかつたならば、その健康状態、家庭状況および一般社会経済状況の推移に照らし、平均余命年数程度は生存し、その間一八歳位から六三歳位にいたる四五年間程度は労働に従事しその間継続して原告らの主張する年間平均一、三四六、六〇〇円程度(不法行為時の昭和四八年度の賃金構造基本統計報告によると全労働者の年間平均賃金は91,400×12+280,500=1,377,300である)の収入を挙げ得たものと推測し得るから、その必要生活費として五割を控除した年間純収入六七三、三〇〇円につき、ホフマン式計算法により民法所定の年五分の割合による中間利息を控除して、事故当時の一時払い額に換算すると、原告らの主張する算式により金一一、二四一、〇〇〇円となる。(なお、被告の主張するように一八―一九歳時の平均賃金は右より低額であるけれども、年齢別年額を基準として各年収の右死亡時における現価を求めると、原告らの主張する右一時払い額にほぼ見合う金額となる。)

しかしながら、前項に認定した事実によると、原告和徳においても、道路交通の危険性について充分な認識を有しない幼児である右敏久を独りで車内に残したまま不用意に原告車を離れた点において、親権者としての監護義務に違背した過失の存することが認められるから、これを被害者側の過失として斟酌すると、被告に賠償を命ずべき右敏久の得べかりし利益の喪失による損害額はその七割弱に当る金七〇〇万円と定めるのが相当である。(なお、当裁判所は、幼児につき稼働年数に達するまでの養育費を控除すべき理由はないものと解する。参照、最高裁昭和三九年六月二四日判決)したがつて、原告両名は、その二分の一ずつである金三五〇万円ずつを相続により承継取得したこととなる。

(二)  原告伏見和徳の供述によると、同原告は、右敏久の葬式費用として一四〇万円余を出損していることが認められるから、前記被害者側の過失を斟酌しても、同原告の請求する金三〇万円程度は被告において賠償すべきものである。

(三)  原告伏見和徳の供述および弁論の全趣旨によれば、原告らが最愛の二男敏久を本件事故によつて失つた精神的苦痛は筆舌に尽し難い程甚大であるものと推察され、これを慰藉するには、前記被害者側の過失その他一切の事情を考慮に入れて原告らそれぞれにつき金二〇〇万円をもつて相当と思料する。

(四)  原告伏見和徳の供述によると、原告らは被告会社に対し右損害の賠償を請求したが、被告は強制保険金の他に一〇〇万円程度しか支払えないという態度であつたため、止むなく本件訴訟代理人弁護士らに訴訟の提起、追行方を委任し、その着手金として金三〇万円を支払い、なお勝訴の場合の報酬として金一一〇万円を支払うことを約しているので、同額相当の損害を受けていることが認められるけれども、本件訴訟の難易の程度および前記被害者側の過失を斟酌すると、そのうち各原告につき金二五万円ずつをもつて、被告に賠償を命ずるのを相当とする、本件事故と相当因果関係の範囲内にある損害額と認めるのが妥当である。

以上の次第で、原告らの被告に対する損害賠償請求権の総額は、原告和徳が金六〇五万円、原告征子が金五七五万円となるが、原告らは自動車損害賠償保険により金五〇〇万円の支給を受け、これを控除すべき旨自陳するので、原告それぞれにつき金二五〇万円ずつ控除すると、残額は、原告和徳分が金三五五万円、原告征子分が金三二五万円となる。

四  よつて、原告らの本訴各請求は、原告和徳につき金三五五万円およびうち弁護士費用分を除く金三三〇万円に対する本件不法行為後の昭和四九年一月三〇日から右完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告征子につき金三二五万円およびうち弁護士費用分を除く金三〇〇万円に対する前記昭和四九年一月三〇日から右完済まで前同年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において正当としてこれを認容すべく、その余はいずれも理由がないから失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九二条本文、九三条一項但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 高橋久雄)

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